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石井 一久 (いしい・かずひさ)
1973年生まれ。千葉県出身。
プロ野球ヤクルトスワロ−ズ投手

■全ての歯車がうまく噛み合ったからシナリオ通りに進んだ
      下半身がしっかりしていないと速いボールは投げられない


肩の内部の筋肉ローテーターカフを痛め、96年暮れ、アメリカに渡って手術、リハビリをこなしてシーズン開幕後の5月に帰国、6月からマウンドに立っていきなり先発勝利投手となった石井投手。その後、9月の横浜ベイスターズ戦でノーヒットノーランを達成し、完全復調。日本シリーズでも勝利投手となり、ヤクルト先発ローテーションの不動の一員として今シーズンも野村監督の寄せる期待は大きい。石井投手が自らの手術、リハビリとコンディショニングについて語る。

−だましてプレーしていてもしょうがない、悪いところはキチンと治そうと決意した

肩に痛みか出たのは95年の8月頃からですね。その年の日本シリーズの第2戦て先発したんですけど、試合は勝ったものの痛みをこらえながらの投球で、5回までしかもたなくて。

その当時は肩の中にたまった水を取り除いたりしてごまかしていました。でも顔を洗うにも肩が痛むという状況で、いつかなんとかしなくてはと考えていました。肩にメスを入れるということに拒否反応を示す人もいますが、ボクは何とも思っていませんでした。むしろ悪いところがあるなら早くすっきり治した方がいいという考えでした。ボクの場合トレーニングで肩を強化していくだけでは限界があるなという感じでしたから、思いきって手術することにしたんです。

確かに手術、リハビリには時間がかかる。その間のブランクにライバルが力をあげないかとか、ブランクからキチンと元通 りのコンディショニングに戻れるのかという心配もまったくないわけではありません。

しかし、ウサギとカメではないですけれど、結局、最後は肩の状態がいいほうが勝ちだと−。肩に不安を抱えてごまかしていくより、手術が終わって不安がまったくない状態で勝負したほうがベターだと判断したんです。

幸い、球団側の判断も同じで、まずしっかり治せということになりました。ヤクルトと交流のあるMLBのインディアンズの関係で手術、リハビリの段取りが決まり、12月に渡米して手術ということになりました。ボクはその時点で、今期は4、5月は捨て、6月からペナントレースに復帰し、シーズン10勝を上げる・・・そういうシナリオを描いていたんです。

−責任は取ってくれない形になっているが経験と技術に裏づけられたプロ意識は高い

日本で肩に内視鏡を入れるとなると、それができる先生も限られているし、その先生が内視鏡を入れること自体、あまり日常的ではないらしい。しかし、あちらでは内視鏡も手術も日本とは回数が違う。その経験の豊富さには安心できました。ドクターはいろいろなケースをこれまで沢山、見ているわけです。ちょっと非科学的かもしれませんが、ドクターと話し合った時、直感的に「この人なら大丈夫」と感じました。説得力というか、人間の大きさのようなものを感じさせる人物でした。多分、ドクターにも自信があるから、それがボクにも伝わってきたんでしょう。

手術は順調に終わりました。リハビリ関連では、手術前に積極的に筋トレをしたことが目新しかったですね。手術前に十二分に筋力を向上させておくことで、手術とその後の安静期間に起きる筋力低下を、できるだけ低く抑えるという考え方です。もう一つ「なるほど」と感じたことは、手術をした肩だけに集中したトレーニングではなく、別 の部位に十分に気を配ったリハビリトレーニングが実施されるということです。例えば、ボクは肘のトレーニングもずいぶんとやらされました。肩になんらかのアンバランスがあると、そのバランスの乱れから出る負担が肘に行くのだそうです。肩の動きを考慮してか、マウンドから投げ下ろすのではなく、逆に昇るような位置でピッチング動作を行うリハビリもありました。

回復は順調でしたが、不安になったこともありました。実際にピッチング動作をする段になって、まだ痛くて投げられない時に、「いいから投げるんだ」と言うのです。「いいのかな、大丈夫かな」と半信半疑で、痛みをこらえて投げました。「だまされているんじゃないか」とさえ思ったこともありました。しかし、コーチは「トレーニング動作だけでは不十分な部分がある。ここでは実際の動作を行わなければ回復しないのだ。」というのです。

時間とともに、彼の言っていることが正しかったとわかりました。ボールの回転やスピードが次第に上がり、腕もよく振れるようになったのです。肩は、ごく自然な形で元に戻っていきました。

余談ですが、あちらでは手術前に「手術が失敗しても責任は追求しない。」というサインをします。だから極端な話、ボクの肩がどうなっても彼等に責任はないんです。しかし、肩を元通 りにするという点に関しての責任感はものすごく強い。プロ意識の塊ですね。自分達の手法に絶対的な自信も持っている。今は、あの時、「痛くても投げろ」と言い切ってくれてありがとう、という気持ちです。

−監督が球数を考慮して使ってくれた。何か一つ欠けてもうまく復帰できなかった

12月に手術をした時点で、6月からの復帰ということと、9月には完全復調し、そこにピークをもってくるということも計画していました。

5月に帰国し、実際にマウンドに立ったのは6月2日の巨人戦でした。肩は実際、昇り調子ではありましたけれど、ベストとはいえない状態でした。しかし、不安はありませんでした。野村監督も、「先発完投」ということにとらわれず、投球数でみてくれることになりました。まずは一回の登板に対して100球がメドだと。ここで焦らず、ピークを9月から10月に持っていけばいいと。だからボクも先発投手とうことの無用なこだわりは捨てて、最後に日本一になればいいと考えたわけです。

こうして徐々に調子を上げていき、実際、9月には肩は上々のコンディションになっていました。9月2日の横浜ベイスターズ戦でノーヒットノーランができましたが、12月の手術以来の計画が全て順調に進んだという感じでしたね。ドクターの技術、コンディショニングコーチの科学的リハビリ、そして帰国してからの監督、コーチの理解。全てがうまく回転したことの結果 だと感じています。結局、シーズンを終えてみると、シナリオ通り、6月からの登板で10勝できていました。

痛みをごまかして投げていたら、このような結果は得られなかったでしょう。また、監督をはじめ球団も長期的視野に立ってボクを大事にしてくれたことに感謝したいと思っています。10月の日本シリーズでは思いきって投球できて、それが日本一に貢献する勝利となって本当に良かったと思っています。

−速いボールを投げたければしっかり走れ。肩のコンディショニングの意識は大切

ボクが高校の頃に比べて、この頃はコンディショニングの情報が豊富ですから、肩をどうやって強化し、ケガからどう護っていけばいかということは、高校生でも意識していればかなりのところまで、できるはずですから、しっかりやってほしいですね。

ボクは今は、特に試合後のケアに気を配っています。登板後は、必ずエルゴメーターで汗を流してクールダウンし、時には軽いダンベルで筋肉を刺激する「ジョーブエクササイズ」も行います。登板翌日はゆっくり長い距離を走ることで積極的回復を図り、二日目にオフをとっています。休養日の翌日からは、シーズン中でも強化の筋肉トレーニングを始めます。さらに、100m〜150mを1分程度の休養をはさみながら10本くらい走る、インターバル的なミドルランを行います。

こうしたコンディショニングを通じて、肩のダメージが早く回復します。登板前日にはショートダッシュ30m程度を5本、20m程度を5本くらい行って、体の「キレ」を呼び覚まします。このように走ることでコンディションを調整していくことは、インディアンズではうるさくいわれました。自分でも実践して非常にうまくいっているので、高校生の皆さんもぜひ取り入れてほしいと思います。

もともと、野球選手としてある程度のレベル以上でやりたかったら、しっかり走り込んでおく必要があります。投手でも、下半身がしっかりしていないと速いボールを投げることはできません。今のボクの基礎は、ものすごく走らされた高校時代にあると思っています。多分、日本のプロ野球の同期の投手では、高校時代ボクが一番走っていると思いますよ。高校時代から走り込みを十分に行って、強い足腰をつくっておいてください。